黄色は止レマ

エッセイあるいはただの戯言

【超簡単】WindowsタブレットでPC-98のエロゲーを動かす

エロゲーには抗いがたい。

ここ2~3か月の間エロゲーという文化に触れて得た結論。
日を追うごとに、その魔力にどんどん引き寄せられている始末だ。
そして今はこう思う。

エロゲーをやっていることが大事」

どういうことなのか。
上手く言葉に出来ないが、エロゲーをやっている、その実感が大事なんだ……
ただでさえ少ない人付き合いは更に激減し、この状況を知った友人から理解は全く得られていないが、それでも私はこの感覚を胸に抱いていようと思う。

そして今、新たな欲求が……否……啓示が舞い降りてきた。

WindowsタブレットPC-98エロゲーをプレイ出来たなら、更なる高みに登れるのでは?」

エロゲーには抗いがたい。私は迷わず行動に出た。

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昔の知り合い

会社に新しい人が入った。

彼は元々フリーで働いていたものの、ちゃんと会社勤めがしたいとのことでウチに入ってきた。
今までウチにはいなかったタイプのスキルの持ち主で、事業拡張が見込める人材だ。素晴らしい。
そこで、新たな事業に取りかかろうという段になり、必要な物資がいくらかあるということが分かった。
元フリーの彼は我々にはない人脈も持っている。「あ、じゃあ僕のツテを使って調達してきます」というので任せることにした。
しばらくタバコを吸いながら電話をしていた彼だったが、何故か私の方をチラチラと見ている。
電話を切った彼は、私にこう言った。

「ミタカさん、学生の時の知り合いでAって人いました?」

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【批評】『君の名は。』は、新海誠によるセカイ系というトラウマの克服ではないのか

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「わたしはここにいるよ」
長峰 美加子 - 『ほしのこえ』より

君の名は。』が大ヒットしている。

右も左も『君の名は。』。猫も杓子も『君の名は。』ちょっと調べると絶賛の嵐。デートで観る映画としても大推薦。ネットどころか街を歩いていても話題を耳にする。
気に入らない!実に気に入らない。

シン・ゴジラ』の時も同じような気持ちを抱いていて、立て続けにこのような現象に立ち会ってしまったことで私は行動に出た。実際に観て、こき下ろすことで絶賛ムードに水を差してやろうと思ったのだ。
しかし、私は新海作品に触れたことがなかった。このままでは批判するにも情報不足となってしまう事は目に見えている。材料は出来るだけ多い方が良い……というわけで、早速レンタルビデオ屋から『ほしのこえ』と『秒速5センチメートル』を借りてきた。
両作とも男がみっともなくて良い感じにモヤっとしたね。

既発の作品に触れ、こき下ろすのに必要なヘイトも溜め、準備は万端だ。
ハナっから批判するつもりで『君の名は。』に臨む!

――と、こんな感じで鼻息荒く意気込んでいたものの、鑑賞した結果『君の名は。』は傑作であり、売れて当然の作品であり、新海誠の到達点だということを認めざるを得ませんでした。くやしい!
なんなら鑑賞後に速攻で小説版買ってそのまま読み切ったからね……小説版も良かったです。まる。

すっかり新海教に染まってしまった私ですが、『ほしのこえ』『秒速5センチメートル』『君の名は。』という順序で鑑賞し、思うところがある。

※なお今回は、この3作品以外の事はとりあえず棚に上げておく

君の名は。』を自分なりに言い表すならセカイ系の終点」になるだろう。
これまで、新海誠セカイ系の旗手という立ち位置であったと思う。それに従って、以下からはセカイ系新海誠、というニュアンスで読んで頂きたい。

「世界、っていう言葉がある。私は中学の頃まで、世界っていうのはケイタイの電波が届く場所なんだって漠然と思っていた。でも、どうしてだろう。私のケイタイはだれにも届かない」
長峰 美加子 - 『ほしのこえ』より

セカイ系の一つの定義として、「世界の存続に関わる状況に瀕しているにも関わらず、主人公の男女はそんな事より互いの関係を優先し合う。しかも、女性側は世界の存続に直接的に関与している」といったものがあり、『ほしのこえ』はこの定義の礎となったであろう作品だ。
最終兵器彼女』『イリヤの空、UFOの夏』と並んでセカイ系の典型とされる本作は、前述の2作よりも徹底して男女の視点にフォーカスする。というより、登場人物が主人公の男女2名だけだ。それらしい社会――学校や軍隊など――は描かれているにも関わらずである。ひたすらに閉じた、いっそ病的とも言える世界観。今日の我々が想像するセカイ系のイメージは、まさにこの閉鎖観ではないだろうか。

「1000回にわたるメールのやり取りをしたとしても、心は1センチほどしか近づけなかった」
水野 理紗 - 『秒速5センチメートル』より

次に『秒速5センチメートル』だが、端的に言うと幼馴染に振られた(勝手に諦めた)男がいつまでもその事を引きずって人生を棒に振りかける話であり、こちらでは、『ほしのこえ』よりも登場人物がやや増える。貴樹と明里の二人に加え、貴樹に一途な想いを寄せる同級生、澄田花苗と、貴樹が社会人になって3年交際した水野理紗の計4人になる。また、その他のモブキャラも描かれる様になった。
この作品では、世界の存続に関わったりするような出来事は起こらない。実に日常的な風景が淡々と描かれるのみである。しかし、主人公である貴樹は音信不通になってしまった明里を忘れられず、花苗と理紗には全く心を開こうとしない。この幼馴染への執着、というよりは周囲への関心の無さはセカイ系男性の典型的なマインドであり、その源流となるエヴァンゲリオン碇シンジと同様の姿勢と言える。
ほしのこえ』と比較して社会――つまり世界――が描かれるようになったが、貴樹は自分一人の世界――つまりセカイ――に閉じこもり続ける。

「すきだ」
立花 瀧 - 『君の名は。』より

で、本題の『君の名は。』はセカイ系なのか?という点。これについてはセカイ系を下敷きにした全く別の概念、とでも言おうか。
セカイ系の代名詞となってしまっている新海誠という名前、主人公男女の関係性、変則タイムリープというギミック、世界(糸守町≒三葉)を救うという目的。これらはセカイ系的なキーワード。
しかし、主人公たち(特に男性側)の人格がこれまでと根本的に異なっている。これまでの人格が根暗で、よく言えばクールなオタク的人格であったのに対し、『君の名は。』の二人はリア充なのだ。
瀧と三葉は両人とも片親という設定こそあれど、性格は明るく社交的であり、人間関係は良好。親友と呼べる存在もおり、瀧に至っては憧れの女性までいたりする。
更に、主人公以外の人物描写も密になっている。モブが生き生きとしているのだ。人の営みがありありと描かれているのだ。これは『ほしのこえ』『秒速5センチメートル』と比較すると圧倒的な差異となって浮かび上がってくる。

新海誠は『君の名は。』で人の社会――それも政治まで――を描いたのだ。
ほしのこえ』の地球人vs宇宙人のような途方もない「セカイ」ではなく、『秒速5センチメートル』でのキミとボクといった閉じた「セカイ」でもなく、ごくごく一般的な我々の知る社会としての「世界」を描いてみせた。

そして、大衆受けのする分かり易い人格である主人公の瀧は、『ほしのこえ』の昇や、『秒速5センチメートル』の貴樹が遂に言えなかった言葉を伝える。

君の名は。』は、セカイ系というポストエヴァの呪縛――個人の殻に閉じこもり、盲目的なセカイに耽溺するゼロ年代の精神――を打ち破り、遂に社会性を獲得してしまった。興行的にもそれは明らかだろう。
これを「セカイ系の終点」と言わずして何と言うのか?碇シンジは遂に大衆から認められたのだ。瀧と三葉は結ばれたのだ。おめでとう、おめでとう。
ゼロ年代から続く閉鎖した恋愛観に、セカイ系の旗手が終止符を打った。
まさにこの点にこそ本作の価値があるように思う。

2作品とはいえ、予め既発作品に触れておいて正解だった。たった二人だけの物語から、他人に心を開かず社会からドロップアウトする物語へ移行し、健全な社会と健全な精神への昇華には驚きを禁じ得ない。
ゼロ年代の精神は社会性を得て大人になったのだと、そう思った。


何故『君の名は。』が大ヒットしたのかとか、オタク文化の視点からの批評とか、作品に隠された巧妙な仕掛けとか、その辺りは素晴らしい論客が沢山おられるので、セカイ系の観点から自分なりに語ってみた。
君の名は。』は間違いなく傑作で、途方もない偉業だと断言出来るが、何か大きな不安を感じずにはいられない。
新海誠は何をしでかしてしまったのか。今度はもう少し時間をかけて、そこについて考えてみたい。