黄色は止レマ

エッセイあるいはただの戯言

非オタがライトノベルを200冊読んで変わったこと

f:id:ab591564:20161225234349j:plain

読者諸君、メリークリスマス。皆は聖なる夜を如何お過ごしだろうか。私はといえば独りラノベを読んでいた。
今宵はクリスマス。改めて日付を見てみれば、ラノベを読むようになって1年半の時が経った事に気が付いた。確か最初にラノベを読んだのが2015年4月だったので、正確には1年と8ヶ月だ。そこで本棚に並ぶラノベを数えてみたら、いつの間にかその数は200冊を超えていた。思い返してみれば、ラノベを読むようになってから色々と自分に変化が起きていることに気づく。記念代わりにといってはなんだが、今回はそれを書き起こしていこうと思う。

  • ここが変わった
    • 読書習慣がついた
    • 漫画を読まなくなった
    • ブログを書き始めた
    • オタクになった
  • おわりに
    • おまけ
続きを読む

『青葉市子 - いきのこり●ぼくら』 物語は語り継がれていく

www.youtube.com

小説や映画などの物語を読み取る時、受け手はその物語での出来事を疑似体験しているのだ、という話を聞いたことがある。なるほど、体験が知識の蓄積と同等であるとするならば、きっと物語から得られる教訓や感動は実体験のそれと同価値だ。極端な話、実感があるかどうかの違いでしかないのかもしれない。そして体験が新しい物語を紡いでいく。そうやって誰かに語り継がれていく。

青葉市子というシンガーソングライターがいる。卓越したギターテクニックは情景豊かに語り掛け、囁くような歌声は残酷な世界の真実を告げているかのように儚い。
幼い頃に読んだ絵本。忘れてしまった夢の出来事。誰かから聞いた御伽噺。いつか何処かで見聞きしたような、そんな物語。彼女の音楽を聴いたとき、そういった事を想う。

「いきのこり●ぼくら」は2013年にリリースされたメジャーデビューアルバム「0」の1曲目に収録されている。彼女の代表曲と言って差し支えないだろう。小気味よく刻まれるリズムと、ほんのり明るいメロディーに乗せられる詩世界は残酷だ。
彼女の言葉には血が通っている。いや、血が流れ落ちている、といった方がしっくりくる。少しおどろおどろしい言い方だけど、そこからはいつだって人の体温を感じるのだ。その(やがて消えてしまうであろう)温もりに、訳も分からず震えてしまう。訳も分からず攫われてしまう。

毎日の風景 ずっとつづくね
慣れなきゃ
 
いきのこりぼくら
 
『青葉市子 - いきのこり●ぼくら』

体験が知識の蓄積と同等であるとするならば、きっと物語から得られる教訓や感動は実体験のそれと同価値だ。
青葉市子の世界が血肉となって私に根付いた時、それを誰かに物語らずにはいられない。

「0」

「0」

『Galaxie 500 - Strange』 それは誰かの青い時代

www.youtube.com

青春時代とは誰の中にもあって、だけど誰もがそれを賛美するわけではない。誰かが過去を懐かしむ影で、また誰かは過去を恥じている。そして私にとっての青春とは、いつだって忘れ去りたいものだ。
そんな過ぎ去った日々の中にも多少の煌めきは残っていて、その時間の中にはいつだって音楽が鳴り響いていた。ある時はロバート・スミスの唄に涙を流したし、何故自分はトム・ヨークになれないのかと悩んだりもした。その時の気持ちは未だふと、フラッシュバックする。それがきっと私の思い出なんだろう。
思い出は忘れがたい反面、スッポリと抜け落ちてしまった記憶も存在する。Galaxie 500という名前を、私はもう何年も忘れ去ってしまっていた。

初めてGalaxie 500というバンドを知ったのは19歳の時で、当時付き合いのあった年上のバンドマンから教えてもらった。その時聴いた感想は確か「なんてつまらない音楽だ」みたいな感じだったと思う。先輩に勧められたというのもあり律儀に1stアルバム「Today」を買ったのだけど、何度か聴いただけで気が付いたらCDコレクションの中からいなくなっていた。恐らく売ってしまったのだろう。それから長い間彼らの音楽に触れることはなかった。

時は流れつい先日、調べ物をしていた際にこの名前がふと目に入ってきて、久方ぶりに思い出したのだった。強烈な懐かしさを覚えてYoutubeで視聴してみたら、なぜかガツン!とやられてしまい……大慌てで渋谷ディスクユニオンまでCDを探しに走った。その時入手したのが、表題の楽曲「Strange」が収録された2ndアルバム「On Fire」だ。

ここでバンドについて紹介しよう。Galaxie 500はディーン・ウェアハム、デーモン・クルコウス、ナオミ・ヤンの3名からなるアメリカはケンブリッジバンド。オルタナティブシーンの顔役クレイマーのプロデュースによりデビューを飾り、87年から91年にかけて3枚のアルバムを残した。それらのアルバムはUSインディーの傑作とされ、Sonic Youthのサーストン・ムーアもフェイバリットとして挙げている。

Galaxie 500の音楽から連想する物。それが“青春”だ。それも爽やかで輝かしい物ではなくて、もっと泥臭くて惨めな方の。
彼らの演奏は想像を絶する下手糞さで、アルバムを通して聴いても上達する気配が全く見えない。アレンジも気が利いているとは言い難く、歌もヘロヘロの腰砕け状態だ。歌詞だって「わざわざこれを歌にするの?」と疑問が浮かぶものばかり。はっきり言って良い所がない。では、何故この音楽に惹かれるのだろう?
彼らの音は潔い。そして、その潔さは深い諦観から来ていると思う。前述した欠点を全て理解した上で、「でもこれしか出来ないし」という開き直った音楽の気がするのだ。その姿にかつての自分を重ねてしまう。
その立ち姿は決して雄々しいとは言えず、むしろ弱々しい。そして掴めそうな程近い距離にいる気がしても、それは手を伸ばした瞬間に蜃気楼のように消えてしまうだろう。結局私と彼らは違う。
それでも、アルバムに刻まれた深い残響にこんな想いを馳せてしまう。
それは誰かの青い時代だと。

なぜみんなおどけてみせるの?
なぜみんなそんなに変わってるの?
なぜみんなそんなに汚らしいの?
だからといって僕は一体どうしたいの?
 
ドラッグストアにやって来た
裏にまわってコークをやった
列に並んでトウィンキーズを食べた
列に並んで待つしかなかった
 
Galaxie 500 - Strange

On Fire

On Fire