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黄色は止レマ

エッセイあるいはただの戯言

眉毛にまつわるエトセトラ

数年ぶりに眉を整えた。
最近髪型を坊主にしていて、スキンヘッドに近い短さなので、眉も少し薄くした方が見栄えが良いと思ったからだ。
まず形を整え、次に薄くカットする。
数年ぶりという事は当然ながら不慣れな作業で、汗水垂らしながら真剣に行った。

眉を整えると、一つ思い出す事がある。
学生時代、私は寮に住んでいて、同じくそこに住む一つ年上の女性に恋していた(その寮は男女共用だった)。
拙いながらもなんとかアプローチし、そこで獲得したチャンスが「女性に眉毛を整えてもらう」というもの。
その寮に談話室というものはなく、異性を部屋に招き入れるのも禁止されていたので、休日の昼間、誰もいない食堂で二人きりになった。
今から思うと、なんでデートじゃなくて眉剃りなのかと首を傾げるが、当時はかなり心弾んだものである。 眉剃りの最中に食堂のおばちゃんがやってきて「あらあら、仲良いわねえ」なんて笑顔で言われたりして、有頂天であった。

確かあの時は「モテたいなら眉を整えないといけない」などと言われ剃ったものだが、今はどうか。
自らの見栄えを気にして剃ったものの、その「見栄え」は一体何に対するものなのだろうか。
アプローチする女性もおらず、過度に身だしなみを気にするような環境にもなく、少なくとも今まで眉を整えずとも特に問題無かった。

恐る恐るながらもなんとか眉剃りに成功し、鏡に映った自分を見て、達成感よりも虚しさの方が湧いてくる。
件の女性には振られた。

非オタがライトノベルを200冊読んで変わったこと

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読者諸君、メリークリスマス。皆は聖なる夜を如何お過ごしだろうか。私はといえば独りラノベを読んでいた。
今宵はクリスマス。改めて日付を見てみれば、ラノベを読むようになって1年半の時が経った事に気が付いた。確か最初にラノベを読んだのが2015年4月だったので、正確には1年と8ヶ月だ。そこで本棚に並ぶラノベを数えてみたら、いつの間にかその数は200冊を超えていた。思い返してみれば、ラノベを読むようになってから色々と自分に変化が起きていることに気づく。記念代わりにといってはなんだが、今回はそれを書き起こしていこうと思う。

  • ここが変わった
    • 読書習慣がついた
    • 漫画を読まなくなった
    • ブログを書き始めた
    • オタクになった
  • おわりに
    • おまけ
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『青葉市子 - いきのこり●ぼくら』 物語は語り継がれていく

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小説や映画などの物語を読み取る時、受け手はその物語での出来事を疑似体験しているのだ、という話を聞いたことがある。なるほど、体験が知識の蓄積と同等であるとするならば、きっと物語から得られる教訓や感動は実体験のそれと同価値だ。極端な話、実感があるかどうかの違いでしかないのかもしれない。そして体験が新しい物語を紡いでいく。そうやって誰かに語り継がれていく。

青葉市子というシンガーソングライターがいる。卓越したギターテクニックは情景豊かに語り掛け、囁くような歌声は残酷な世界の真実を告げているかのように儚い。
幼い頃に読んだ絵本。忘れてしまった夢の出来事。誰かから聞いた御伽噺。いつか何処かで見聞きしたような、そんな物語。彼女の音楽を聴いたとき、そういった事を想う。

「いきのこり●ぼくら」は2013年にリリースされたメジャーデビューアルバム「0」の1曲目に収録されている。彼女の代表曲と言って差し支えないだろう。小気味よく刻まれるリズムと、ほんのり明るいメロディーに乗せられる詩世界は残酷だ。
彼女の言葉には血が通っている。いや、血が流れ落ちている、といった方がしっくりくる。少しおどろおどろしい言い方だけど、そこからはいつだって人の体温を感じるのだ。その(やがて消えてしまうであろう)温もりに、訳も分からず震えてしまう。訳も分からず攫われてしまう。

毎日の風景 ずっとつづくね
慣れなきゃ
 
いきのこりぼくら
 
『青葉市子 - いきのこり●ぼくら』

体験が知識の蓄積と同等であるとするならば、きっと物語から得られる教訓や感動は実体験のそれと同価値だ。
青葉市子の世界が血肉となって私に根付いた時、それを誰かに物語らずにはいられない。

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