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黄色は止レマ

エッセイあるいはただの戯言

(まどマギ)今更「魔法少女まどかマギカ」を観てみたらハマってしまったので考察

アニメ 考察

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10年代を代表する巨大コンテンツと化した感のある「まどマギ」ですが、恥ずかしながら今まで観た事なかったんですよ・・・。
GWに暇つぶしで小説版を読んで「この作品は観なアカン・・・」という想いに駆られ、速攻で劇場版の円盤をゲット→視聴という流れです。
もう、ほむらちゃんが可哀想過ぎて・・・劇場版前編のOPでまどかとほむらが戯れているのを見た途端に号泣しましたからね。。。

そんな訳で今更ではありますが、まどマギについての私見をつらつらと書いていきます。
盛大にネタバレしているので、未視聴の方は要注意。

まどマギ」とは何だったのか?

本作のストーリーをざっくり時系列順に書くと、以下のようになります。

  • 宇宙を運用するエネルギーを得る為、インキュベーターが地球の少女に目を付ける
  • インキュベーターの手により魔法少女の力を得た者達が戦い、魔女になりながらも文明を発展させてゆく
  • 時は流れ、まどから各登場人物が魔法少女になる
  • ワルプルギスの夜が襲来し、まどかが死亡する
  • ほむらが魔法少女になり、時間操作能力を得る。まどかが死なない未来に辿り着く為に何度も時間を繰り返す
  • ほむらが「まどかの為に」時間を繰り返した事で、異常な数の因果がまどかに紐づく。結果、まどかが最強の魔法少女になる
  • 最強の魔法少女となったまどか(≒神)が世界の理を書き換え、「魔法少女が魔女になる」というシステムを無くす
  • まどかは概念(円環の理)となり、この世から消え去る。同時にほむらは時間操作能力を失う
  • 魔女の代わりに魔獣が出現するようになり、魔法少女達は戦い続ける END

こうやって書くと上記の内、劇中の描写はほぼ「ほむらが繰り返した時間の中で起こった事」と括れてしまう訳で、改めてまどマギは「ほむらの物語」だったなぁと思うのです。

作品のキーワード

この作品はテーマを一つに絞るのが難しいので、キーワードという形で考えてみたいと思います。

作品全体に散らばるキーワードは

  • 希望(願い)の対価としての絶望
  • 友情とは何か?
  • 善悪の基準

この辺りでしょうか。

希望と絶望は魔法少女目線のキーワードとして。
友情は一人の女の子目線のキーワード。
で、善悪の基準。これは声を大にして言いたいのですが、キュゥべえは悪ではありません
この作品において、キュゥべえのフラットな目線は一つの問い掛けになっていると私は考えています。

次に、主人公であるまどか・ほむらにキーワードを付けるとしたら、私ならこうです。

  • まどか → 自己犠牲
  • ほむら → 利己主義

まどか・ほむらは一貫して相反する存在として描かれています。

まどかの想いは「皆が幸せになってほしい」。
ほむらの想いは「まどかが幸せになってほしい」。
まどかの願いは「自分を犠牲にしてでも全ての魔法少女を救う」。
ほむらの願いは「全てを犠牲にしてでもまどかを救う」。
まどかにとってほむらは「最高の友達」。
ほむらにとってまどかは「たった一人の友達」。

ほむらを利己主義としたのは、上記は全て「まどかを自分だけの物にしたい」という気持ちから来る物だと考えているからです。
まどかとの約束に囚われ過ぎた結果、ほむらは歪んでしまっているし、それを本人も自覚している。

穿った見方をすれば、まどかは愚かだし、ほむらは滑稽です。
しかし、この作品の強烈な魅力はこの愚かさと滑稽さから来ているのだと感じてしまうのです。

劇場版新編について

新編はハッピーエンド?バッドエンド?

TV版及び劇場版前後編では

  • ほむらはまどかを救えない
  • まどかが犠牲になって魔女のシステムを壊したにもかかわらず、今度は魔獣が出現する(負の感情は消えない)

という結果から考えると、どう考えてもバッドエンドです。
マミや杏子が死なない結末になったとは言え、別段誰も幸せにならなかったし。

では、新編はどうか?

私が新編を観るに当たって主眼としていたのは「ほむらは幸せになれるのか?」でした。
なので、ここで言うハッピーエンドは「ほむらが幸せになる事」とします

結論を出す前に、内容をさらいましょう。

新編でほむらは何をしたのか

まずは前半、魔女の結界内の話。

インキュベーターの企みにより、魔女が存在しなくなった世界にもかかわらず、ほむらは魔女化してしまいます。

劇中でも指摘されているように、ほむらが結界内で行ったのは「現状維持」です。
ほむらは仲間である魔法少女他数名を結界内に閉じ込め、自分の記憶も捏造し、理想とする世界を作り上げました。
そこで生者であるマミと杏子は幸せを手にしています(特にマミはそういった旨の発言をしている)。

しかし、結局は仮初めの幸せ。

まどかの「本当の気持ち」を聞いたほむらは自分の誤ち(まどかを円環の理にしてしまった事)を自覚し、更にインキュベーターの企みを知った事で、虚構に終止符を打ちます。
その方法は「自分の処刑」。
ほむらは自分を裁き続ける魔女になってしまったのでした。

ここまで書いて、かなり気が滅入ってるんですが・・・。
その後、皆の力でインキュベーターの企みは潰え、ほむらは円環の理に導かれ・・・ると良かったんですけど。。。

後半、闇堕ちならぬ悪魔化〜世界改変について。
ここからは疑問となるであろう箇所を挙げていきます。

何故ほむらはまどかの導きを拒否したの?

まどかの「本当の気持ち(円環の理になりたくなかった)」を実現する為です。

しかし、上述しているように、ほむらのキーワードは「利己主義」。
そして、くるみ割りの魔女(ほむら)の性質は「自己完結(※限定版特典ブックレットに記載あり)」です。
この前提で考えると、まどかの「本当の気持ち」は実はほむらの思い込みとなり、案の定、世界改変後に「世界は尊い。自分勝手にルールを破ってはいけない。」というまどかのもう一つの本音を聞いてしまい、袂を分ける決意をします。

何故まどか程の力を持たないほむらが世界を改変出来たの?

希望よりも熱く、絶望よりも深いもの・・・“愛”よ

だそうです。

世界を改変して、何が変わったの?

円環の理から「まどかがまどかでなくなる前の人としての記録」のみを抜き出した。
つまり円環の理自体は存在する為、世界改変後も魔女は発生しません。
この副作用として、円環の理の一部であるさやかとなぎさが人(?)に戻ってます。

ほむら「今の私は魔なる者。摂理を乱し、この世界を蹂躙する存在。神の理に抗うのは当然の事でしょう?」

さやか「あんたは、この宇宙を壊すつもりなの?」

ほむら「全ての魔獣が滅んだ後は、それも良いかもね。その時は改めて貴女達の敵になってあげる。」

このやり取りから、ほむらは悪魔の力を手に入れたものの、現状は魔法少女の敵ではないという事が分かります。
また、魔獣も存在していると。

その他細かい箇所で言うと、ほむらの精神世界が反映されており、街の景色が若干変わり、くるみ割りの魔女(ほむら)の使い魔が現実に溶け込んでいる。
判ったのはそんなところでしょうか。

ED後の描写について

まず、ボロボロのキュゥべえ
これは描写的にほむらによるもので、この事からほむらがインキュベーターをも支配している事を示唆しています。
また、「世界改変後のインキュベーターは感情を与えられた」という説を目にしたのですが、私はこの意見を支持します。
本作では監視者としてのインキュベーターの瞳のカットを要所要所で挟んでいますが、ほむらによる世界改変中の瞳は初めて動揺が描かれており、ラストのカットでは絶望を感じているような、濁った弱々しい瞳が描かれています。

次に、確信に迫る描写。
丘の上のほむらは何を表しているのか?

丘の上で椅子に座るほむらは、何かに寄り添う様に傾いています。
この場所はまどかと二人きりになる際に度々出てくる場所で、本来はまどかと二人で並んで椅子に座っている筈でした。
しかし、まどかはいません。
駄目押しとばかりに、次のシーンでは欠けた月が描かれていますが、月は「憧れ」転じて「決して手に入らない物」の象徴なので、結局まどかと共にいられなかった、という暗示です。欠けた部分はほむらがいる場所。
そして最後の落ちていくほむら。
これもやはり、隣にいるまどかに寄り添うものの、実際はまどかはいないのでそのまま落ちていく、という演出です。
もしかしたら、ほむらは隣にまどかがいるものと思い込んでいるのかもしれません。

まとめます。

ほむらによる幸せとは「まどかと一緒にいること」。
その目的の為に円環の理からまどかの断片を抜き出した。
しかし、まどかの本当の気持ちはほむらの考えと相反している。
結果、隣にいる筈のまどかがいない。

つまり

悪魔化してまでほむらが手に入れた世界は、魔女の結界と同じ仮初めの幸せに過ぎなかったという事です。
=ほむらは幸せになれなかった、つまりバッドエンド


こんなの絶対おかしいよ!!

いやいや、ほむらちゃん可哀想過ぎない・・・?
続編があるかもという噂もあるので、その際は今度こそほむらちゃんに幸せになってほしいと思ったのでした。

・・・ひとまずこんな感じですかね。
まだ2週しか観ていないので、今後新しい発見があったり解釈が変わったりするかもしれませんので、その際は随時追記していこうと思います。

では。