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黄色は止レマ

エッセイあるいはただの戯言

「天元突破グレンラガン」を観て私は大人になった

アニメ 感想

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ただいま今石洋之監督の作品を観るキャンペーンをやっていまして、前回パンストを観ました。

tolema.hatenablog.com

んで、今回は表題である「天元突破グレンラガン」を観たのです。
一気に全話視聴したんですが、引っかかるところがありまして・・・その旨を記事にまとめていこうと思います。

面白かった

まず、本作が面白かったかどうかで言うと、面白かったです(小並感)。
怒涛の展開は圧巻だったし、シモンやカミナ、ヨーコやニアなどのキャラクター達も大変魅力に溢れていて、好感を持って観られました。

しかし・・・

熱血ノリが辛い

うん、面白かったよ?面白かったんだけど、同時について行けなかった自分もいたんですよ。
正確に言うと、熱血ノリを醒めた目で見ている自分がいたのです。

全部気合の一言で片づける展開には少し呆れてしまったし、説明不足かつご都合主義だとさえ感じてしまった。
「いやいや、それが良いんだよ!」って言うのは判る。判るんだが一応の事言わせてくれ。

馬鹿じゃねーの?

だってそう思ったんだもん・・・

熱血アニメというと私の場合、真っ先に「スクライド」が出てくるんですが、確か2002年頃に観てすごく熱中した覚えがあります。
丁度その頃からアニメは観なくなってしまったので、私にとってグレンラガンが14年ぶりに観た熱血アニメになるんですね。
で、スクライドに熱中していた自覚がある分、「自分は熱血アニメが好きなんだ!」とずっと思ってたんですよ。
視聴前に評判を見てみれば、グレンラガンも熱血アニメの名作扱い。期待して観るじゃないですか。
しかし、いざ観てみると熱血展開に醒めた反応を示す自分がいるんですよ。
これには大混乱してしまった。

実は本作を見てからそこそこ時間が経っているんですが、この混乱のせいで今まで感想を書く事を躊躇っていました。

熱血=幼い?

んで、よくよく考えてみたら以前にも似た感情を抱いた事がありました。
かの名作「ダイの大冒険」を大人になってから読み直した時の事です。

昔大好きだったダイ大をいざ読み返してみると、なんというか子供っぽいなと感じてしまったんですね。
これは賛否が分かれる意見かと思いますが、少なくとも当時の自分はそう思いました。

で、今回についても同じような感覚になったのかなぁーと。
うん、熱血というある種子供っぽいノリを醒めた目線で見ていたのかもしれない。
単純に「熱血=幼い」としてしまうのが暴論だというのは理解しているんですが、今はもっと適切な表現が見つけられないので勘弁してくらさい。

だけど“アツい”ぜ

と、ここまで熱血がダメだったアピールをして来たんですが、この作品の「アツさ」については疑いようのない評価もしている訳ですよ。
カミナの「お前を信じる俺を信じろ!」は言わずもがな、「お前のドリルは天を突くドリルだ!」発言からの最後の展開には震えましたし、「俺を誰だと思ってやがる!」の決め台詞もかっこいいよね。
あとヴィラルの存在。好敵手→転落→最強の相棒という展開にはどうしてもニヤリとしてしまう。ヴィラルが一番好きだ・・・。

ちなみにダイ大についても、ラストバトルでのポップの名言「一瞬・・・!! だけど・・・閃光のように・・・!!!! まぶしく燃えて生き抜いてやるっ!! それが俺たち人間の生き方だっ!!!」は今でも大好きな台詞。

矛盾している

とまぁ、自分の感覚を整理すると、熱血展開を馬鹿にしつつも、アツいと感じてしまう矛盾に気づいてしまったのです。
この感覚が混乱に拍車を掛けた要因。一体どうすればいいのか。一体自分はどうしたいのか。

全然答えは出てないんですが、一応の事この感覚については記録しておこうと思った次第です。ハイ。

なお、表題は嘘です。「大人になった」のではなく「変わってしまった自分に気づいた」の方が正しい。
そして「変わってしまった自分」というのが中二病を馬鹿にする高二病に近い物だという風にも感じてしまい、なんだか複雑な気分だ・・・。
単に素直じゃなくなっただけなのかもしれません。

とりま、次は「キルラキル」を観ます。